当店の歴史
ませクリーニングの歴史
創業者・間瀬芳之助は、日露戦争から帰還後、横浜の花咲町(現在の野毛町)に間瀬洗濯店を開いた。西洋洗濯(クリーニング)の横浜での創始者の一人であり、仲間たちとこの業界に組合を作った。また蒸気を使ったスチームアイロンなどを考案し、組合の仲間たちの業務にも役立てた。
関東大震災、第二次世界大戦、横浜大空襲を乗り越え、間瀬クリーニングを息子へと引き継ぐ。
<昭和初期の頃の間瀬クリーニング>
横浜協同洗濯クリーニング組合主催 化学研究曾第一期卒業式記念の時の写真(前列の一番右に座っているのが間瀬芳之助である)
それまでの間瀬クリーニングは職人技術の『高くて遅くて上手い』であったが、高度経済成長の時代に合わせて『安くて早くて上手い』が求められるようになった。二代目は、高品質の仕上げと多くの品物を処理できるように機械等の設備のある店舗へと展開していった。
1956年5月12日、有限会社として登記申請を行う。
<建て直し後>
<当時の工場内の様子>
三代目が、1998年に建て替えを行い間瀬ビル完成。新たに機械を入れて最新の設備投資を行った。
家庭の洗濯機の向上やファストファッションの流行によりクリーニング店は苦境の時代ではありますが、お客様のご相談やご要望にお応えし、品物一点一点に目の届く、個人店ならではのきめ細やかなサービスをしてまいります。
<現在のませクリーニング>
<店頭>
<工場内の様子>
<工場内の様子>
自社工場でお客様の品物を
一点一点仕上げています
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